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ママンよりあなたへ…


by fuku_mama
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あやしいインフルエンザが流行している。
自作自演で聖書の予言を現実のものに使用としている輩
もっとも聖書自体も、人間を宗教の力で家畜にしようと綿密な計算のもと
書かれたものという事がおおよそわかってきている。
いやはや ずいぶんとだまされたものです。

んで、もうTV新聞などのマスメディアは情報統制されて
大切な世界のニュースが入ってこない。
TV見ていて あはは うふふ いっている間に日本も闇に引っぱられて
いってしまうのか。
ヤスさんのところで気になる情報をみつけた。

ーーーーーーーーーー
新型インフルエンザの流行が宣言された。今回は日本ではまったく報道されていないイギリスの現状を報告した。

サンなどのイギリスの大衆紙が、イギリス内務省が新型インフルエンザの緊急対応用に作成した文書の中身がスクープされた。そこにはあまりに不自然な推定死亡者数が記されている。各メディアはこの文書がパニックを意図的に引き起こすことをねらったものではないかと疑っている。これを詳しく解説した。

一方、イギリス健康保護局(日本の厚生労働省の一部局にあたる組織)は、7月29日、国内の600人の神経学者に警告の通知を出し、新型インフルエンザのワクチンが副作用を引き起こし、ギラン・バレー症候群を発病させる危険性が高いとしていることを紹介した。次回からは、新型インフルエンザワクチンの安全性について明らかになった新事実があるのでそれを記す。
ーーーーーーーーーーー
http://ytaka2011.blog105.fc2.com/
ここの八月二十五日の記事だ。

ギラン・バレー症候群とは先に亡くなられた昭和を代表する大女優
大原麗子さんがかかっていた病気だ。

ウィキにはこう書かれている。
///////////////////
ギラン・バレー症候群( - しょうこうぐん、Guillain-Barré syndrome)とは、急性・多発性の根神経炎の一つで、主に筋肉を動かす運動神経が障害され、四肢に力が入らなくなる病気である。重症の場合、中枢神経障害性の呼吸不全を来し、この場合には一時的に気管切開や人工呼吸器を要するが、予後はそれほど悪くない。日本では特定疾患に認定された指定難病である。
///////////////////
新聞で、このワクチンの安全性について保証しないならば
日本は受け入れられないといったら、ならば他の国にまわす
必要で待っている国はいくらでもある。といわれて厚生省が
頭を抱えてしまっている。というのを読んだ。
こんな副作用があるなんて、ワクチンなんかノーサンキュウだ。

だいたいワクチンの必要性について、調べてみれば見るほどあやしいもので
うちの小僧は皮膚の性質上注射の出来ない体のために、予防接種というのが
受けられなかったけれども、元気だww

とにかくこういう情報が、流れずに日本もただインフルエンザはおそろしか〜みたいに
あおりにあおっている感がする。
みんなはしっかりと情報に踊らされる事なく、地道に現実を見て
外出後の手洗いうがいは子供のときからのお約束。
三度三度のごはんをきちっと食べて、地球のためになる事を考え行い
できれば野菜の自給自足。ブロッコリースプラウトなら、ペットボトルを切った入れ物で充分
しかも5日くらいでできて、がんの予防にもなる。
そんなものを作って玄米粥と一緒に食べるとかするといい。
ママンはそれでカナーリ痩せた。w
お米の消費も少なくなるし(約3分の一でOK)水分をたくさんとるから
体の代謝もよくなる。安物の肉や加工品は毒だと思ってまちがいない。
食べるならしっかりしたよい肉を特別な日に食べたら良い。
マックなんか絶対だめ。
そして土を裸足で踏んで元気をもらい、日々ありがとうの精神で
早寝早起き。これでがんばっていこう。
常に何かのためになる事を頭に入れて。
# by fuku_mama | 2009-08-26 10:26 | ママン日記

夏になってたw

父親の事になると必要以上にはげしく引きずってしまう
ママンです。
おひさしぶりでございあっす。

その後父は、手術をして水やごはんを口から食べられなくなり
胃の方に直接ぽんっとドロドロの栄養液をいれて、栄養をとっているようです。
退院してきた時に、自宅に戻った気のゆるみで
味わうだけなら良いでしょう♪ とおそばを口に入れたら
唾液が発生 思わずごっくん→気管から肺に流れて呼吸困難→大騒ぎ
ということをちっとやらかしたと北海道のおばちゃんからききました。

本当に食べる楽しみを取り上げられた気の毒な父です。
私たちが普通に食べる幸せを手にしていられる事に、あらためて感謝です。

さてさて
ここのところママンは何しくさっているのかと申しますと
めざせ野菜の自給自足・・・いやいや自給率アップ ということで
毎日植物たちの世話をしております。
栽培方法は、土から水へ。

ただでさえせまい庭に、土を発泡スチロールでいれてマメだのトマトだの茄子だの
とんがらしだの植えていたのですが、やれ連作障害だの病害虫など、一株の作物に
使う土と面積が大きい事とか、土が高い事とか、そのわりにはできる量が少ない事とか
考えて、もっとせまいスペースでうはうはいうほど作物できる方法ってないのかなー
とか考えました。

前にかぱぱちゃんから地球交響曲のDVDをかしてもらって
水耕栽培ハイポニカで、一株のミニトマトの苗からミニトマト二万個収穫というのを
見せてもらった事があるけれど水耕栽培ってどうなのかな??
って思って検索したのが始まりで、今はにんじんとお芋類、植えっぱなしのネギと
ニラ、秋に始めるであろうニンニク大株に育ってしまっている大鉢のパプリカと
すでに大鉢でジャングルになっているミニトマト、ひょろひょろなすと
おなじ箱から毎年わんさか芽を出すホーリーバジル以外は水耕栽培である。
(それだけで充分じゃ・・・・w)

その他のものってのは、つまり菜っ葉ものである。
ほうれん草、葉大根、レタス、枝豆、いんげん、あずき、メロン、スイカ
キューリ、ケール、二十日大根、スィートバジル、シソなどが水耕組だ。
今のところははじめにやったスイートバジルとシソくらいしか口に入るほど
収穫はないが、成長はおもいっきり期待できる成長ぶりである。
別組として、土と水耕でさとうきびも植えてみた。
サトウキビの収穫は12月。黒砂糖を作る予定である。
ミニトマトはぼちぼち一日5つくらいのちょうどいい収穫。
摘んだ芽を水耕にして、またふた鉢ほど大きくしている。
トマトはふえるなぁ。うっしっし
このトマト、今年はあたりで甘いのよ! それに米ぬかあげてるからさらに甘くて
うっしっしであるのであります。
しかし水耕だと米ぬかあげられないなぁ、甘いといいんだけれど
水耕ものは糖度が高いらしくてすっごく すーーーーーっごーーーぉぉーく
期待してまっす。

メロンは食べたメロンの種を、水耕で植えたもの。
スイカは苗を買って水耕に植えたもの。
メロンも一緒に買って土で育てたのだけれど、着果してソフトボールくらいの大きさに
なったところで灰色カビ病にやられ、それでもなんとか持ちこたえそうだったけれど
ネキリムシに茎をさくっとかじられてご臨終。
これは悲しすぎたですよ。もう土なんかでメロン育てるかぁぁぁぁと
赤い太陽に誓ったです。はい。
# by fuku_mama | 2009-08-04 11:08 | ママン日記

父に感謝と祈りを


先日、父より電話があった。

ガンで気道確保が難しくなり
声帯を含む咽頭部分を切除するらしい。
以後、呼吸は喉の付け根につけた穴から
直で肺にいき、食べ物は小腸の一部を移植して
胃に通す。

今までの声は出せなくなり
口や鼻での息はできなくなる。

76歳でこれを克服できるのか?
おぼっちゃまの父なので、ちょっとあやうい感じがする。
男の人というものは、女の人とちがって精神がデリケートで
いくじがないものだ。
特に父はそういうところがあると思う。

なんで咽頭ガンになったのか?
たぶん、いいたい事をいえないというストレスが、たまっていたからだと思う。
実家は、ともすると父をぬかしての男性蔑視の傾向が強く女のたまり場と
なっていた。嫁に行った娘が娘を連れてしょっちゅう愚痴をまきにきつつ
「もっと堂々とセックスについて語ろう、夫婦愛はセックスから!!」
と、女の色気をこれでもかと表にする事に生き方を表現する、アメリカ帰りの妹。
周りは女だらけ。父はいつも書斎にひとりこもっていた。
息子である弟でさえ、この女パワーには近付きがたいきがしているのか
あまり訪ねる様子もない。

父は孤独だったと思う。

だれもいないときでないと本音がいえない状況に
誰も気がついてあげられなかったのが残念だか、これも彼が選んだ
道の延長なのでしかながない。
あそこでは、そうでしか生きられない。
私はぬけだせて良かった。

そう。あそこでは私たちのようなタイプは、病気になってしまう。
恐ろしい空間だった。
ちょっと卵巣がかたっぽなくなって子宮がだめになるくらいでよかった。
ガンの赤ちゃんなんて悪さする前にひまし油湿布とびわの葉エキスで
早めに溶かしてしまえばいい。
本当にぬけだせてほんとうによかった。

父には病院がわかったらはがきを出そう。
北海道のおばちゃんにきけばいい。

あの家には金輪際近付きたくない。

ただ、父の手術の成功と痛みの軽減と
そして、突貫工事でつくったような、息をするにも痛い肺と
つばを飲み込むのも激痛の走る口で生きていく事に
どうかくじけずにいられることを。
それはあまりに高いハードルだけれど、
どうか最後までどうどうと戦われる事を
祈っていこうと思う。

76歳・・・・たぶん最後の戦いだ。



ママンの父への手紙の追伸
「ひょっとして、この次にあうのはむこうの世界かもしれないけど
 そのときは、どうどうと胸はってあえるようにお互いにがんばろう」

ママンは、この人がいないと生まれてこなかった。
ママンは、今とても幸せでこころが豊かだ。
あたたかい友人 あたたかいふんどしばーちゃん
あたたかい家族。
あたたかいにゃんこたち
心から生まれてきてよかったと思う。
父よこんなすばらしい命をくれて 
ありがとう。
ありがとう。
# by fuku_mama | 2009-03-10 14:42 | ママン日記

今日の風はいい

空の青
快晴にして視界良好
風強し

好きな事と得意な事はちがう

得意な事は、先天的な能力や今までの経験から培われたものだが

好きな事は、下手でも 何度失敗しても 好き。

魂のふるえるところがある

時間を忘れてしまう

今日の風は いつまでもあたっていたい風だ


どうせ生まれてきたのだから
風はこのくらい強い方がいい

次の風は しなやかにかわそうか
それともガチでいこうか
逆に包み込んでしまおうか
いっそふかれてしまおうか

どれもいい

どれも人生の糧となる。

自分の心にそって まっすぐでさえあれば

物語はいろいろあっていい
波瀾万丈 上等だ


日本人として
女として
母として

人として

せいいっぱいやっていきたい

そんな事を思わせる三月の風


今日の風はいい
# by fuku_mama | 2009-03-02 14:47 | ママン日記

過去の私へ


http://www.nicovideo.jp/watch/sm2136307

『たとえば』(作詞:小田和正・さだまさし共同)

話したいことが幾つもある あの頃の僕に会えたら
たとえば 迷いながら選んだ道の 辿り着く場所について
伝えたいことは他にもある あの頃の僕に会えたら
たとえば 信じていたことの正しさと その過ちについて
それから不安を胸に映し 怯えたあの夜の闇も
たとえば ありもしない夢に紛れて逃げたことも

あの頃の僕に告げたいのは
ひたすら そこから ひたすら 歩き続けること
あの頃の歩幅でいいから
ひたすら ただ ひたすら 生きてゆくこと

尋ねたいことが幾つもある 未来の僕に会えたら
たとえば 傷ついたり愛された この命の重さや
尋ねたいことは他にもある 精一杯生きたかどうか
たとえば 奇跡的にめぐり会えた 愛しい人のことを

ここからの僕に言えることも
ひたすら このまま ひたすら 歩き続けること
今のままの歩幅でいいから
ひたすら ただ ひたすら 生きてゆくこと

ひとつだけ言えることは 全ては今日のために
たいせつなことはひとつだけ 全ては今日のために

話したいことが幾つもある あの頃の僕に会えたら
話したいことが幾つもある 未来の僕に会えたら
-----------------------------------------------------
# by fuku_mama | 2009-03-01 18:27 | ママン日記
3月になりました。
先月は、実家にさよならした。

当時は三歳でなにもわからなかった母の死。
母の死の数ヶ月前に、私の弟の死産があったため
父は悲しみに暮れた。

父方の祖母から託された1冊のアルバムには、母との結婚の喜びと
何度目かの流産の後の私の誕生。
そして成長の喜びと、もう一人への希望。
やがて来る長男の死産と妻の死までの事柄が
写真や、はがきなどでちりばめられていた。
アルバムの最後のページは 母が振り向いている写真だった。

私はこれを小学生のときに祖母より渡されて
これから父の愛情の深さを信じていた。
そして、とんなことがあっても父に迷惑をかけない。
父が幸せならばそれでいい。父の元にいられるならば…と
がんばってきた。

途中、いろんなことがあった。
正直、父に対して過大評価しすぎていたあたりは痛かったが
なんとか立ち直れた。
これも父の元での修行のおかげだ。
どんなに苦しい状況でも、がんばれちゃう底力。
決してくじけない心の強さは、ここで培われたものだ。

あそこにつながれていたあの頃に比べたら天国。
あそことくらべたら、こんなことなんてことないっす。

「あそこ」が実家だった。

わたしは今、とてもしあわせだ。
あそこ以外のところにいる限り、どこでも幸せでいられる。
そのあそこと、今生でのさよならができて本当によかったと思う。

そして今の幸せは、あそこを乗り越えてきたから感じられるものだから
それはとっても感謝している。
辛い事も 悔しい事も 悲しい事も 
今の幸せにつながっていたのならば
もういいのだ。

実家よ 感謝をこめてありがとう!
# by fuku_mama | 2009-03-01 09:48 | ママン日記

塩を送ってさようなら

きのう実家に塩を送った。
数日前に、今のお母さんから岩塩が欲しいと連絡がきたからだ。

その岩塩は5年ほど前に、父の体を思ってどっさりと送ったもので
お母さんはそれを「うちでは使わないから」と函館の叔父夫婦にあげてしまった。
わたしはそれを叔母からきいて、びっくりしたものだ。
父がガンにならないように、お風呂でこう使って、うがいにこう使って
お釜が心配だったら手湯や足湯にこうして使うといいと
細かく使い方を書いて一緒に送ったのに、なにひとつ使われていなかった。
叔母はうっすらとそれを知っていたので、ねぎらってくれた。
叔父はすごくいいものをもらったと、大喜びしてくれた。

そんな話をしらないお母さんは、いけしゃあしゃあとこういった。
「ずいぶん前にもらったけれど、ずーっと使っていたのよ」

ふーん。

「この塩、お釜いためないわよね。追い炊きしてもいいんでしょ? 」

ずーっと使っていたならわかるんじゃないかな?
岩塩のお風呂2日も3日も置いておいたら、お湯が臭くって入るどころでないっしょや。
普通のお風呂と違って、人の老廃物をがんがん出すお風呂だから
はいり終わったらお湯を捨てて、湯船をよく洗ってくださいってプリントでもいってるし
紙にも書いて送ってあったっしょや。

もうおなかいっぱいだ。

これを機会に、実家とさよならすることにした。
ママンにとって、実家は強制収容所みたいなところで、そこでの暮らしのおかげで
どんな逆境でもめげない強靭な精神と辛抱強さを持つ事ができた。
とても感謝しているが、あそこには二度といきたくない。

父への思いも過去のものとなった今は、心残りもない。
ここで実家とさよならしようと、今までの思いをぶちまけた両親への手紙とともに
塩を送った。
ほんとうに重かった肩の荷がおりた。
これで実家も親子水入らずで、本当の家族のみとなるから安泰だ。
思いをぶちまけてもちゃーんと感謝もしているのでOKOK。

なんだかんだいってもやさしいから ママンってww
これですっきり。
過去に引きずられて悩む事もない。
潔しとおわかれさせてもらったから。

次に合うあの世では胸はってあう事ができるように
がんばりましょうとしめくくってきた。

明日は新月
ママン人生の第三ステージの始まりかな??
# by fuku_mama | 2009-02-24 13:39 | ママン日記

血のつながり

トッコちゃんの大きな間違いは
私という人間が、何でできているかを忘れてしまっていた
または、理解していなかった事だ。

おそらく邪魔だったであろうこの娘は、君の愛する夫と前妻でできている。
そしてその親族の血を脈々と受け継いでできた結晶だということ。

血のつながった親が、子供になにをいっても大丈夫。
同じものを持っているから、心で消化できるのだ。
血のつながりがあると、怒っていても自分にも同じところがあって
そこに切ないものを感じつつ怒っているもので、それをこどももうすうす感じとっているものだ。
でも他人が同じ事をいうと、ひどく傷が残る。
体罰も同じ。
ある意味未消化のままいつまでも心に残ってしまうもんなのだ。
そこらへんもう少し思いやりを持って接してくれればと
いまおなじ境遇にある 継母さんにいいたい。

やられた子は ゆるさなければならない立場ゆえに
ゆるそうとするのだけれど 許せない自分がいてそんな自分が切なくなって
しまうものなのだ。
# by fuku_mama | 2008-12-04 11:11 | ママン日記

嫌われ松子

人生、一つ歯車が狂うとそのあととことん歯車が狂ってしまうことは
よくあること。
ほんのちょっとのずれが、なかなか修正できずに
思っている未来から、どんどん離れていき
自分の思っている事を説明するも、わかってもらえず
もぅ いいや。 なんでも。
トッコちゃんの思っている私でいいです。
あなたのすべていう通り。
そっちのが楽でいいもん。
オトナになってここでるまでは、ずっとそれでいこう。
ばかでうそつき。
トッコちゃんのご機嫌が良くて、父さんがしあわせならばいいです。

じつにこの状態によく似た映画がある。
「嫌われ松子の一生」という作品だ。
機会があったら一度みてみてほしい。とてもいい映画で
ママン的には今年見たうちで、イチオシの映画だ。

松子の父親に対する思いがとても似ていて笑った。
男性遍歴は、小僧がいたせいでかなりちがっているが
いなかったらかなり似た線をたどっていただろう。(笑)

私は子供のころから、今でもだけれど理想の母親像を大切にしてきた。
私の中のおかあさんには、きれいなお母さんという定義は皆無だ。
あたたかなぬくもりたっぷりで、元気で明るくて、料理がうまくて
魔法のようにいろんなおやつを出してくれて
だれよりも家族の事を応援していて、すなおであほがつくぐらいまっすぐで
一日三回はあたまなでてくれるおかあさん
子守唄がうまくて 寝る時はとんとんしてくれるおかあさん

こんなものを目指して、がんばってみた。
# by fuku_mama | 2008-12-03 10:15 | ママン日記

うそつきのはじまり

トッコちゃんの父親は鍛冶職人だ。
自宅の土間で、コークスを炊いて火をおこし鉄の棒を焼く。
真っ赤になった鉄の棒を、カーンカンカンカンカンっと専用のハンマーでたたいて
先を尖らしていく。両方尖らした鉄の棒を奥さんであるばーばが、大きなプレス機械をつかってコの字にまげて製品にする。
家の柱と柱をささえる大切な釘だ。
夏の酷暑の時期は除き、いつでも土間にはコークスが焼かれていた。
土間をあがるとみんなが食事をする6畳ほどの部屋があって、その奥が台所。
階段を上がるとひろい12畳くらいの細長い部屋があって、お泊まりのときは
そこに寝泊まりさせてもらった。二階はじーちゃんとトッコちゃんチーちゃんミーちゃんが寝るようになっていて、手前側の部屋にはオルガンや勉強机があった。
勉強机はふたつあって、片方がトッコちゃん。もう片方はチーちゃん。ミーちゃんはまだ小学生だったので折りたたみのおぜんをつかっていた。
昭和30年代後半から40年代にかけて、普通に見られる下町の光景だ。
ちなみにチーちゃんとはトッコちゃんのすぐ下の妹。ミーちゃんは末の妹である。

初めてあった時のこの3人の印象は、小さい私にはこうみえた。
すぐに怒るトッコちゃん。 いいたい事いうチーちゃん。
やさしいミーちゃん。
ミーちゃんは一番ばーばに性格が似ていて、上の二人にやいのやいのいわれる
わたしにそっとやさしくしてくれた。

私が一度しばらく北海道に預けられて、母の実家のチーちゃんやトッコちゃんと年の変わらない伯母さんたちと涙の別れをして東京に帰ってきていきなり事件は起きた。
わたしが実母の妹から贈られたペンダントをみて、トッコちゃんが
「私のペンダントをあけみが盗んだ」といってみんながいる夕食のときに返せときた。
わたしは、これは秀子おばちゃんにもらったものだといっても、きいてもらえず
それはトッコちゃんの手に渡った。
ほんとはほんとは渡したくなかったけれど、その頃わたしは子供ながらに自分の立場がわかっていた。お世話になるところでかわいがってもらうにはどう動いたらいいかを。
たとえ自分が正しくても、その家にいる時はその家の人をたてること。
そうしないと、困るのはただ一人しかいない肉親のお父さんであると。

紫のペンダントはトッコちゃんがいうには、わたしの父からもらったということだった

なら・・きっと大切にしてくれるんだろうな。

そう思ってペンダントを差し出した。トッコちゃんはペンダントを手にして
「うそつき!!」
と吐き捨てた。それを見ていたチーちゃんもうそつきうそつきとはやしたてた。

もーなんでもいいや。私の事は私がわかればいいんだもん。
ごめんね。ひでこおばちゃん・・・・

わたしはその夜、お布団の中に潜って自分の心を飲み込んだ。
5才の春の事だった。
# by fuku_mama | 2008-12-01 14:45 | ママン日記